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  • 2009.08.12 Wednesday
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物書きでソフト屋の理論

たまにはソフト屋っぽい事書くか。
つってもネタの1つとしてだけど。
というか書いてて相当な駄文な気がしてきたので、適度に読み流し推奨
◆コミュニケーションのお話
といっても、ソフトだけの話じゃないよね、コミュニケーション。
でもソフト屋は他の職種に比べてやたらと求められる能力である。それはなぜか?

・無いものを作る場合が多いので、イメージ先行で抽象的な言葉が多い
・つい実装を考えてしまいがち。
 聞きながらああやったらできるよなーっていうのがあって、先入観が生まれやすい
・前提知識が食い違いやすい。
 自社製作・請け負いに関わらず自分にとっての「いつも」と違う場面がなにかと多い
・気にしなければならないことが多い。
 具体的でないと実装できない。しかも上記のように、勘違いの要因多数


とにかく話がややこしくなるのだ。
もう繰り返し聞いてて、十分聞いただろうと思っても、分析が進んで設計してみると抜け落ちてる。
全く、なにかと手法やら技術やら使いこなせてないと、行き当たりばったりが簡単に起きるから困るもんだ。



◆「小説」と「ソフトウェア」
さて、そんなのの解決方法は本でも読んでください。
それより、物書きでソフト屋な自分としては気になるところがある。
これって、ある意味逆じゃない?

小説は具体的な記述こそするが、イメージは読んだ人次第である。
いや、あえてそうする。読者にそれぞれのイメージを持って貰うことが大事なのだ。
著者が思った情景を伝えたければ絵を使えばいい。漫画なんか特にそうだ。
さらにはアニメなんかは音も動きも入って、再現しようと思えば好きに再現できるはずだ。
現実はそんなことないが、少なくとも表現範囲、情報量には格段の差がある。
小説ではあえて伝えない。そうすることで、その人の心に映しだして貰うのだ。

対して、ソフトウェアの世界はイメージを過不足無く、確実に伝えなければならない。
「仕様」は絶対であり、これ無くしてソフトウェアは成り立たない。
本来、「仕様の変更」は「作り直し」とほぼ同義である。
使い回しができても、仕様が変われば別物なのだ。
ソフトウェアに関するコミュニケーションは曖昧さを許さない。
要求されたとおりに相手にイメージが伝わらなければならないのだ。

だが、ちょっと待った。
実はそんな単純なもんではない。


◆共通項「論理の妥当性」
ソフトウェアで絶対であることは当然として、小説でも論理の妥当性は重要なファクターである。
どちらも「論理を書いて表現する」という意味では全く同じものであり、
そのどちらも作り手の望むように相手に伝えるという点ではもちろん一致している。

小説における論理の破綻は、途端に現実味を無くし、小説そのものを成り立たなくさせる。
とはいえ、全てではない。
いや多くの場合、小説には細かい論理の破綻があるものだ。
それは補強する事実がないが故に発生する。
なのになぜ成り立つのか?
それは主題と関係ないところはあまり気にしないように見せているからである。

逆にソフトウェアだって実は完璧じゃない。
それはプログラムを書いたことがある人間なら誰しも知っているはずだ。
主題の筋は通ってなければならない。でなければ動きすらしない。
しかし、例えば1個のデータを利用するのに100個分のデータ領域を確保したって構わない。
全く通らないパスがあったって構わないし、もしかしたらメモリ領域を不正参照する可能性があっても、論理的にそのパスを通らないなら問題はない。
そう、結局はそんなものでしかないのだ。完璧であるソフトウェアなどなく、無駄な動作もあれば矛盾もある。
だから変更するときにバグを埋め込むのである。見えないようにしていたことが、見えてしまうから。


◆融通が利かないのは機械だけじゃない
「機械は融通が利かない」というフレーズがある。
最初にも述べたとおり、ソフトウェアにおける曖昧さの排除は必要不可欠なものだ。
だが、それは「主題」を守っているに過ぎない。
それ以外の部分は曖昧さを持つ。
小説との違いは、「解釈のさせ方の違い」でしかない。
機械だけじゃない、人間だって相当融通の利かない頭をしている。


さて、強引にまとめに入る。
コミュニケーションに戻ろう。
人間と文章を介してちゃんと話せる奴は、機械ともソースを介してちゃんと話せるのである。
そして、機械とちゃんとソースを介して話せる奴は、人間ともちゃんと文書を介して話せるのである。
人間と機械は「解釈の仕方」は違う。だが、結局辿り着くところは同じなのだ。

そして本当に「作り込む」ということは、先に挙げた例なども考慮して書くことで、これもまた小説でも同じ事である。
いざ続編を書こうとしたら無理が出てきた、なんてのはよくある話で、それはどの方向に拡張するか決めていなかったか分析漏れしていたため、拡張できなくなるのである。
実は小説はタチが悪い。仕様変更などできない。一度外に出したものをなかったことにして変更することはできないのだ。
結果、強引になり読者に違和感を与える。品質問題である。


機械相手なんて楽なもんだ。あとでいくらでも誤魔化しが効くのだから。

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  • 2009.08.12 Wednesday
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